
遊女の寿命は20代前半だと聞きました。
やっぱり性病が原因でしょうか?詳しく知りたいです。
こうしたナゾにお答えします。
この記事の内容
この記事を書いている私は・・
こんにちは、れいかです。
遊女は長生き出来なかった。そんな話はよく耳にしますね。
江戸時代の新吉原遊廓。遊女の主な死因はこの様な感じです。
- 当時の流行り病【梅毒】
- 肺結核
- 強引な堕胎
- 心中や自殺
- おしろいの成分が有毒だった
今回はこの中から「梅毒」と「遊女の寿命」について語ります。
梅毒は最近また右肩上がりに流行している感染症です。
ただの昔話ではなく、今でも心に留めておくべき病気の一つです。
梅毒と鉄砲女郎。安かろう悪かろうの「切見世」はこうだった。
【画像出典】©吾峠呼世晴/集英社
昔、遊女は長生きしないと言われていました。
特に下級遊女の寿命は短かく、年季開け(27歳位)まで勤め上げることは困難な事でした。
恐ろしい性感染症【梅毒】です。
最下級の遊女は切見世という、梅毒が蔓延しやすい最下層の女郎屋で働いていました。
【切見世】
- 長屋造り
- 屏風などで部屋を仕切っただけ
- 一部屋2畳程度
劣悪な環境の元、不特定多数の客を流れ作業の様に取っていたのです。
みんなが想像する遊郭といえば
【格子の内側で座って客待ちする】華やかな花魁。
「切見世」はそうした上品なシステムではありません。
・・
一回2千円程度で売春を行っていた。
繁盛している切見世は、客が順番待ちをしている状況。
お金が無い庶民は切見世でサービスを受けていました。
1回の料金が1,000円〜2,000円程度だったと言います。
安かろう悪かろう。鉄砲女郎とは?
「切見世」の遊女は、鉄砲女郎とも言われていました。
その手軽さで切見世は需要が高いわけですが・・
病気に感染する危険と隣り合わせです。
そのリスクは、鉄砲女郎を買う客側にもあります。
こうして特に切見世の遊女は、当時の流行り病「梅毒」を感染拡大させていました。
↓
当たったら怖いもの。
つまり鉄砲に例えて
鉄砲女郎といわれていました。
もちろん高級遊女にも早死にしてしまうリスクはあります。
しかし、守られている環境や客層の違いは歴然。
安かろう悪かろう。
まさに打ってつけの言葉ですね。
遊女の平均寿命22歳とは、こういう事だった。投げ込み寺が語る悲しい真実。
新吉原遊女の平均寿命が20代前半だったと言われています。
それは、三ノ輪の浄閑寺。
この通称投げ込み寺に記載されている過去帳がカギを握っています。
吉原から運び込まれた遊女たちの遺体数は月平均40人。
身寄りが無い遊女たちは、亡くなっても遺体の引き取り手が無く、投げ込み寺に運ばれました。
そして、寺に保管されている過去帳で分かったことがありました。
(1743年〜1779年の36年分)
- 遊女たちの亡くなった年齢が記載。
- その死亡年齢の平均は22歳だった。
”遊女の寿命が20代前半”
という話はここから来ているのです。
吉原から出られた女性も含めての平均寿命ではありません。
【参考資料】
平均寿命22.7歳?!遊女たちの終着地「投込寺」
江戸時代、遊女の最期は寺に投げ込まれていた?苦界に身を落とした遊女たちが眠る浄閑寺とは
戒名からわかる遊女の扱い
遊女が自殺
客の男性と心中。
逃亡後に捕まり拷問を受けて死んだ。
この様な、吉原の掟を破った者は
「売女」で終わる戒名にされていました。
平均寿命を引き下げる要因、梅毒の恐ろしさ。
梅毒の症状は一時的に消失しますが、自然治癒することはありません。
初めの症状が一旦消え、長い潜伏期間がある事。
遊女達は治癒したと勘違いして、喜んで客を取り続けます。
こうして無症状の潜伏期間中にも感染させてしまうわけですね。
このヤバさは現代の性事情にも反映されています。
末期の梅毒の症状は、感染してから10〜30年後に進行する
梅毒は発症と潜伏期間を繰り返します。
そうしますと、年季明けや身請けされた遊女達の中には、吉原を出てから症状が出る女性も居たはずです。
今の様に治療の方法が無かった時代。
しかしその多くは大見世の太夫や花魁クラスの一部でしょう。
参考資料
【新宿駅前クリニック】梅毒について、動画や図解でわかりやすく解説
まとめ
今回の内容をざっくりまとめます。
- 最下級の遊女は、病気が蔓延しやすい最下層の女郎屋【切見世】で働いていた。
- 遊女の遺体は引き取り手が無く、投げ込み寺に運ばれた。
- 彼女たちが亡くなった年齢は平均22歳。
- 死因は梅毒以外に、自殺、心中、拷問などもある。
性感染症の検査を行う場合、梅毒も項目に入れておきましょう。
・・・・・
最後まで読んでくれてありがとうございます。
遊女は始まりも終わりも悲しすぎますね。
今の日本は、売られる事も投げ込まれることもなく、法律や人権、化学に守られて生きています。
この記事を書いて、あらためて感じました。
毎日ご飯を食べて、スマホを見て笑うだけでも幸せな日常だと。
またブログでお会いしましょう。
篝れいか