【親ガチャ】ハズレ=毒親→父の虐待、家事をしない母への上納金も。

 

こんにちは、れいかです。

親ガチャという言葉が流行ってますが、ハズレを引いたと言っている子たちは
どんな両親の元で育ってそう感じているのでしょうか。

 

記事の内容

 

この記事を読んだ後に

自分の親はこの人よりまだマシだ。
そう思える人は
ご両親に感謝して生きて行きましょう。

 

同じくらいヤバめな境遇。
いや、自分はもっとヒドい環境で育ったぞ。
そんな人は

反面教師になって生きて下さい。
人生を巻き返す事ができる唯一の方法だからです。

 

この記事を書いている私は・・

元風俗嬢。専門はファッションヘルス。
都内の店舗型、ホテヘル、デリヘルで11年間働きました。
最高月収は150万円。接客数は13,000人ほど。
詳しいプロフィールはこちらをどうぞ

 

親ガチャという言葉。
例えが下品で好きではありませんが
世の中的には冗談で言っていることもあるでしょう。

かく言う私は
完全に親ガチャに失敗しています。

今は幸せに生きているので
過去の苦労話として
笑って語れるようになりました。

 

一発勝負の【親ガチャ】ハズレ=毒親

親ガチャとは

【子どもは自分で親を選ぶことができず、どういう境遇に生まれるかは運任せである】ことを抽選形式で購入するガチャにたとえた言葉。

 

この程度でハズレとか言っちゃダメ

  • 団地住まい
  • 親が大学出ていない
  • 父親の年収500万円未満
  • 両親の容姿の悪さ
  • 望まないデキ婚で生まれた
  • 自分の部屋をもらえない

この程度の背景が
ひとつやふたつ該当したくらいじゃ
ランクはノーマルです。
親の愛情があれば問題なしですよ。

自分の努力で如何様いかようにも好転します。

 

では最低ランクはどんなガチャでしょうか。

【具体例】

  • 親に捨てられて施設育ち
  • ネグレクト
  • 暴力に支配されていた
  • 家に無職の知らない男が転がり込む

つまり毒親です。

自分の努力だけでは
どうにもならないのが苦労のポイント。

 

毒親がいる生活は
経済力とか社会的ステータス以前に
心に問題アリな親が支配する環境です。

 

私も毒親を引き当てました。
(ちなみに風俗嬢は親ガチャのハズレを引きがちです。)

今回の記事では
私の子供時代を時系列で発表します。

 

父の虐待、学習机も捨てられた子供時代

私の毒親たちをご紹介

【父】
私達を虐待
切れると母親にも暴力を振るうが
母親の問題アリな行動は黙認する。

【母】
家事をやらない。
貧しかったが
働きに出ようともしなかったし
節約をしようともしなかった。
後に私のバイト代をむしり取るようになる。

【妹】
私と同じ境遇にあったが
母親崇拝者になって行く。
後に母と一緒に私をいじめるようになる。

【私】
この家庭、普通じゃない。
そう感じながらも出口が無い子供時代を過ごす。
高校卒業を機に
堪忍袋の尾が切れた私は家出を決行。
路頭に迷いつつも実家より快適だった。
住む家も仕事もなんとか確保して生きてゆく。
まだこの段階では風俗はやっていない。

 

幼少期から 父の虐待に怯える

物心ついた頃から父は私たち家族に暴力を振るいました。

顔にあざを作り
幼稚園や学校を休んだことも。

今の時代なら父親は完全にアウト。
逮捕ですね。

時は昭和〜平成初期。
子供の人権なんて
なかったような時代なんです。

 

親は絶対、先生は神扱い。
子供の逃げ道がありませんでした。

 

私たち姉妹は学習します。
この父親がどんな時に手をあげるのか。
それがわかれば虐待を回避できる。
と考えました。

 

そう、確かに暴力は回避できますが
完全に思考が停止します。
どういうことかと言いますと

【具体例】
電車で大きな声を出してはいけない理由は?

そう聞かれた子供は
「周りの迷惑になるから」
とか答えるんでしょうけど

私たちは違いました。

父親に殴られるから
が答えになっていたのでした。

 

転校を繰り返す小中学生時代

両親はいつも何かから逃げていました。
親戚だったり何らかの人間関係からです。
理由はよくわかりません。

繰り返す逃避行のせいで
私たちは転校を繰り返すハメになります。

 

勉強が好きだったのに環境をくれなかった

子供の頃
勉強が好きでした。
勉強がしたかったのに

学びの環境を奪われ続けました。

何かに逃げるために
遠い県を転々としていたわけですが

一番のショックは

引っ越し代金を安くするために
学習机まで捨てられた事です。

 

偏差値64→47に転落

塾へ行かせてもらえない。
学習机も捨てられた私でしたが
頑張って偏差値64まで上げました。
なのに、繰り返す転校や
安定しない生活のせいで
成績はガタガタと音を立てて下がり
偏差値は47まで落ち込みました。

 

そんな具合で中学最後の転校が
なんと高校受験シーズン。

当時の母のコメント

よその家は、勉強勉強ってうるさいんだよ。
うちは勉強はしなくて良いって言ってるんだから
こんなラクな家に生まれてきて
あんたラッキーよ。

私は勉強がしたかったのに。
悔しかったです。

受験はレベルが低いながらも
公立高校に入学しました。

気持ちを入れ替えて心機一転。
今度こそは安定した生活を送りたいと
願いました。

 

友達と遊ぶ事をあきらめた。母は家事をしなかったから。

母は家事をしませんでした。
理由はよくわかりません。

勉強はいいから家事をやれ。
両親からよく言われた言葉です。

 

スーパーの買い物は子供の役目

一番キツかったのがスーパーへ買い物。
小6あたりから私の役目でした。
ほぼ毎日の日課です。

母はスーパーへ買い物は行きません。

 

品物を間違えると怒鳴られるし
こっそりチョコを買って食べたら
冬でも外に立たされるし。
トホホです。

 

買い物は
大荷物を自転車の前後に乗せて帰ってきます。

私はこの姿を見られるのが
とても恥ずかしかったものです。

その道すがら
友達とすれ違っては
ミジメな気持ちになりました。

あー、私もあの子達と遊びたいなぁ。

でも遊びに行きたいと言えば、
じゃあ誰が買い物に行くんだ?
と、母親に詰め寄られます。

私は友達と遊ぶ事をあきらめました。

 

家事をやらないと母に罵られる

学校から帰宅
スーパーに買い物。

買い物から帰ったら遊びに行けるのでは?

いえいえ、ここからまだ仕事が残っています。


次は家事があります。

繰り返しですが
母は家事をやらないので。

だから
遊ぶことをあきらめたのです。

 

買い物と部屋の掃除は私。
諸々の項目は妹と交代で。

家事を怠ると、または失敗すると
母にいじめられます。

 

宿題や勉強は
全ての家事が終わってから。

しかし勉強中もお呼びがかかります。

夜は母の背中や腰をマッサージしないと
許されません。

 

放っておくとゴミ屋敷化する家

片付けても片付けても散らかる家。

母親は片付けられない人。
放っておくとゴミ屋敷化します。

家事をやらない上に
ゴミを生産し続けます。

ちなみに私以外は
家族全員が片付けられない症候群でした。

家族が服を脱ぎすてたら
私がひろって洗濯機へ放り込む。
家族がゴミをそのままにしたら
私が片付ける。

このイタチごっこを続けないと
我が家はゴミ屋敷化するのでした。

 

貧乏でも良いから
部屋はきれいにして欲しかったな

中学時代の座右の銘
ボロをまとえど心は錦

今でも好きな言葉です。

 

母がやっていた家事

では、専業主婦の母は
何をやっていたのでしょう。

洗濯物を干す。

以上。

日中、母以外はみんな学校や仕事で出払っています。
洗濯物は昼に干さないと乾かないので
仕方なくやっていたのです。

母はこう言います。

あんた達が学校行っている間、私は毎日洗濯物を干してるの。
感謝しなさい。

 

ちなみに
母は病気を抱えていたわけではありません。
いたって健康。
休日は毎週、家族の誰かと
お出かけして遊んでいました。

 

たまにやる料理を褒めないといじめられる

母は、料理もしません。
かつて1日一品だけ料理をしていた時代もありました。

私が高校生になる頃は
その一品料理も作らなくなり
食事の支度は主に父親の担当になります。

 

かつて母が出していた1日一品料理

大皿料理をテーブルの真ん中にドンと出す感じ。おかずは一品。
ご飯を仕込むのは私が担当。

お味噌汁がある日は

私は今日頑張った。感謝しなさい。

と恩を着せてきます。
もちろん言われなくても
感謝しています。

でも言葉で
お母さんスゴ〜い♪さすが〜!

と持ち上げなければ
機嫌が悪くなりいじめられます。

私のリアクションが気に入らなくて
お前は食べなくて良い
と仲間外れにされた事もありました。

 

妹は母親崇拝者になって行く

妹は母の太鼓持ちでしたので
母のお気に入りです。

いつも母が気持ちよくなる言葉を
並べて上手に酔わせます。

この家庭で安パイに生きて行くためには
上手な方法でした。

私は、教祖と信者のような2人の関係性が不気味で
太鼓持ちになれませんでした。

なので母にとって私は
ツマラナイ、シラけた女
だったようです。

妹は完全に母親に心酔し
一緒に私をいじめるようになります。

 

母は何か病気を抱えているわけではありませんが
精神疾患を抱えていると思います。
しかし自分はまともだと思っているので
診察をすすめても
私をキチガイ扱いするな
と罵倒します。
どうしようもありませんでした。

 

何かから逃げ続ける両親。
学びの環境を奪う逃避行。
暴力(虐待)という爆弾を背負った父。
母親は家事をしない。
家事の大半を押し付けられ、それをこなすために友達と遊ぶこともできなかった子供時代。

逆らうといじめられる。
妹も味方してくれなくなった。

 

夜も休日もバイト頑張ったのに手元には数千円だけ

高校入学後

さらに私は苦しい日々を送ります。
家は貧しかったのでアルバイトをいっぱいしました。
近所のコンビニなどですね。

母は
働きに出たことがありません。
お金の計算もできません。

父が持ってくる給料を遊びに使って
借金を増やします。

なのに
父を安月給の甲斐性なし
とバカにするのです。

私は母が大嫌いでしたし
この時ばかりは父に同情しました。

 

もはやそれは上納金

父には生活費を渡しました。
私がそうしたいと思ったからそれは良かったのです。
しかし、母は黙っていません。

私にもお金払いなさい。

そして謎の捨てセリフ

あんたは学校行ってバイトして外の世界を楽しんでるんだから、これくらい良いじゃない?
私には楽しみが無いの。

意味不明ですが
こうなったら、母に渡すお金は

生活費ではなく、上納金と言った方が正しかったです。

悲しいことに
それをそばで見ている父親も黙っています。
妹も母の肩を持ちます。

 

母はいつも自分の生活や人生に不満を抱いていました。
高校生になって、少し大人になった私がバイトをして
外の世界を楽しんでいる様に見えたのです。

兎にも角にも

学校へ行きながら
夜も休日も働いたのに
お金は毎月数千円しか残りません。

私は奴隷でした。

バカらしくてバイトを辞めたかったのですが

家にいるのが嫌でシフトをいっぱい入れてもらいました。

学費も公立でしたが自分で払いました。
学校、バイト、家事。
身を粉にして頑張っても味方がいない。

何なんだ?この家族は!
よくぞ耐え抜いてきたと自画自賛します。

 

私は誓いました。
もし私が結婚して子供ができたら

勉強をさせてあげたい。
努力できる環境を整えて
頑張る背中を押してあげたい。
やりたいことをノビノビやって欲しい。

そう涙しました。

 

風俗記事ばっかり書いているエロい私ですが
この思いは変わっていません。
これからも変わらないです。

 

エピローグ

私はとうとう高校を卒業して家出をします。
就活はしませんでした。
自分がどう生きて良いかわからなかったのです。
家を出ることだけを考えていました。

飛び出した私は
友人宅に泊まったりバイト先で店泊したり。

この時はまだ風俗の仕事にはついていません。
そんな発想もありませんでした。

ここから風俗嬢になるまでの足取りは
別の機会に書こうと思います。

 

まとめ【親ガチャ】毒親じゃなければ大抵はノーマル。

親ガチャという言葉
世の中的には冗談で言っていることもあるでしょう。

この記事を読んで

自分の親はこの人よりまだマシだ

そう思える人は
ご両親に感謝して生きて行きましょう。

もっと私はヒドい子供時代を歩んだ!

そんな人もいるでしょう。
ハズレにもランクがあると思います。

でも今は幸せですか?
反面教師で生きていますか?
大切な人たちに愛情を注げていますか?

 

うん、だったらあなたは勝ち組です。
引き続き より良い人生を歩んでください。

皆さんのご家族が温かいものとなりますように。

篝れいか

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